初夢-脱亜入洋

今年の初夢は、「脱亜入欧」ならぬ「脱亜入洋」です。
こういう独創的なことを思いついたのは、生まれて初めてです。
もっとも大先達たちの読みに、ほんのちょっぴり自分の観点を付け加えただけですが。
とはいえ、きわめてパロキアルな進路指導と母校関連以外には、発表すべき何ものも
なかった今までのわたしからは踏み出しています。まさに<はじめの一歩>です。

さて、去年、次のように書いたことを覚えていらっしゃるでしょうか。
最初の癌手術のときには、<わが65年>として来し方を振り返り、
二度の目の時は、deadlineのことを考えたが、
パンデミックに至って、deadlineの先のこと、すなわち、もう自分のいない
世界と日本のことに、初めて、真剣に思いをはせるようになった。
と。そして、その将来の<世界と日本>像が決して明るいものではなかった、ということを。

この先、米中の覇権争いが熾烈になると、いずれ、どちらかに荷担せざるをえなくなる。
そして、果てはアメリカの準州か、中国の準省(ならいい方で)か属国扱いの島国になるだろうと。

これは、かつて、20世紀の末に、江沢民とクリントンが、ニュージーランドだったか
どこだったかで会談したとき、どうせ15年もすれば日本なんて国はなくなるだろうから
米中で、太平洋を真ん中で分け、東太平洋を米、西太平洋を中国、と等分しようなんて
ことが語られたと伝えられたことがありました。どこまで本当で、どこまで真面目な話だったかは知りませんが、もうすでにその15年は過ぎたとはいえ、この先22世紀も近づくころには、そんなおぞましく重苦しい世界が現出する可能性がなくもないと思ってきたのです。

ですが、それは、わたしがやっぱり東西冷戦という世界観で育ってきたからでしょう。
そういう未来像に、やっと風穴をあけることが出来ました。それも福沢諭吉と梅棹忠夫の
おかげです。福沢の先覚者としての慧眼と大天才梅棹の晩年の未来像が、おそろしく正確な読みとなっていたことを知って、わたしが、さらにちょっぴり展開してみただけなの
ですが、それで急に光明が感じられてきました。

福沢の説は、もっとも非難されてきた<脱亜論>ですが、これは今は措いておきます。
ただ、ちなみにWebで検索してみたら、数年前、中国のネットでは「日本は脱亜したか、いなか」が盛んに論議されていたそうです。あちらでも気になるんですね。

さて梅棹は、晩年(1998=78歳)の河上倫逸(西洋法制史)との対談で
  「最近は、アジアの一国、というようなことがしきりに言われますが、わたしはそん
  なことは全く信用できないと考えております。だいたいね、みなさん、アジアという
  ことについて、日本がどこかの国から『あなたの国はアジアに入りたいかどうか』と
  いうような打診を受けたことがありますか。一回もない。勝手にだれかがきめとんの
  です。
   それはまあ、近くお隣の中国からいろいろ影響は受けております。しかし別に中国
  と同盟したわけではなし、東アジアといいますが、わたしは、日本はどうもアジアで
  はないと考えております。少なくとも積極的に、アジアに属するという必然性はどこ
  にもないと。」
そして、今後日本と近隣諸国との関係は非常に難しくなっていくだろう。さらに「アジア的連帯」はありえない。「アジアには手を出すな」が持論で、歴史上、白村江の敗戦、秀吉の朝鮮出兵、明治以後の大陸経営、すべて失敗している。逆に、同緯度連合で西太平洋国家連合なら将来性があり得る。
「今後は日本・オーストラリア連合というものが二十一世紀に非常に大きい意味を
もってくるんじゃないかと私は考えております」
と言うことです。これを年末に読んだのですが、心底驚きました。ちょうど、「日豪安保宣言を改訂へ 対中国で協力強化前面」などと報じられた時期だったからです。

ただ、その報道の前、朝ベッドの中で(これが今では私の発想が飛躍する唯一の時間なのですが)、梅棹の<同緯度連合で西太平洋国家連合>を漠然と反芻していたら、突然、
  「日本は、オセアニアにはいるべきなんだ」
と閃きました。オーストラリアやニュージーランドばかりでなく、いまや16カ国にもなったオセアニアこそ海洋国家日本に相応しい、というか、重苦しさばかりが先にたつ東アジアよりオセアニアの北限の一国と考えた方が、未来が明るくなる、と思えてきました。

そして、英国のEU離脱にも、日本では全く報じられないけれども、<海洋国家としての
自由な未来>への希求があったのだと気づきました。このところ、米英豪のオーカスとか、
急に海洋国家らしく振る舞い始めていますね。

で、年が明けてから、海洋資源だとか、日英同盟の歴史とか、戦前の南洋諸島委任統治とか、そもそも<大洋州>なんて、だれが名付けたのかなどといろいろ調べていたら、すごいことを発見しました。いまからピッタリ100年前、1922年にわが国に<南洋庁>が出来た、という史実です。帝国主義的侵略の側面ばかり教えられてきたわたしたちですが、改めて振り返ってみると、たぶんちょうど百年前にも、南を向いた方が未来が明るくなる、と考えた人たちがかなりいたことでしょう。移住した人たちもかなりいるようです。

さらに驚いたことは、オセアニアには全部合わせても人口3200万余だそうです。日本の
4四分1だ。今更、侵略なんか誰が考えるか。沈没する国は、日本が全部受け入れてもいい。その代わり、排他的経済水域も一緒にね。海産物や海底資源だけでなく、地震や津波であれほどの被害を与える太平洋の巨大エネルギーを活用する道(波力、潮汐力から海流
発電など)を喫緊の課題と真面目に考えることが出来るのは日本だけでしょう。

太平洋というと、漁業か海軍か観光・行楽しか思い浮かばなかったのですが、太平洋に面していない他の東アジアの国々が絶対思いつかない、思いついても何も出来ない広大な世界が見えてきたように感じます。
つづく

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